僕がポッドキャストを始めたきっかけ
ポッドキャスト裏話 #0
「どてさん、一緒にポッドキャストをやりませんか」。
8月の蒸し暑い午後、その暑さを感じさせないような涼しい顔で、でも、新しい遊びを発見した少年のように楽し気な表情で、ハマナカさんは僕にそう言った。
とある街歩き雑誌の取材がきっかけで行きつけになった、ママチャリ専門店の併設カフェ。なんだ、そのごちゃごちゃしたコンセプトの店は、と感じる人は多々いると思うが、その店の詳細は先々の物語で出てくるのでさておき、ここで僕はハマナカさんと出会った。この頃は、まだ知り合って半年程度だったろう。
よく知らないが、ただ者ではないことはわかる、その男
彼は、この店がテナントとして入っている建物の2階にアトリエを構えているアーティストだ。普段は会社勤めをしながら、空いている時間を駆使して創作活動をしている。
創作物は、折り紙だ。
幼少期からその魅力に憑りつかれ、20代半ばとなった現在も様々な切り口から折り方を研究し、発信。Instagramではすでに国外のファンがついている。
ある日、彼のアトリエを覗いてみると、彼は折り紙を折っては開き、折っては開きを繰り返していた。
その繰り返しの動作には何か意味があることはわかる。
どんな意味なのかはまったくわからない。
「何をやってるんですか」。
「なんでしょうね、自分の脳から発せられる信号を手に伝えて、紙にフィードバックを与えるというか」。
「スミマセン、バカでもわかるように教えてもらえると……」。
「自分の手がどう動くのか、対して紙はどう返してくれるのか。これ以上は折れないよ、これ以上は破れるからね、みたいなサインを受け取る練習というか。簡単にいえば、手先の筋トレと、紙との会話ですね」。
「おれ、バカだけど意味がわかった……!」。
聞けば、前職ではコンサル会社に勤め、クライアントの課題解決をしてきたという。
質問の意図を瞬時に読み取り、理解度を汲み取り、ロジカルに返してくれる頭の良さ。
しかし、アトリエに所狭しと並ぶ作品はどこか有機的で、ロジックとはまた別の何かを感じた。
天井からぶら下がるクラゲ、カッと目を見開いた般若の面、そして、人。
これらを1枚の紙で作っているというのだから恐れ入る。彼の脳内世界の断片がアトリエ内に顕現しているように感じた。
「折り紙という文化と、私という人間の痕跡を、後世に残していきたい」。
彼は、使命感や自己顕示欲を微塵も含まず、まるでそれが当たり前のことのように、粛々と語る。
いやはや、自分が彼ぐらいの年のころ、何を考えていただろうか。
初めて就職した飲食店の修行で心折れ、地元に帰ろうと思ったところで知人のたこ焼き居酒屋の店主に拾われ、キッチンカーに乗って毎日たこ焼きを焼き、売り、米と味噌を買っていた。
たこ焼き居酒屋のオファーに乗ったのも、面白そうだったからだ。それ以上に深い理由はない。
うむむ、振り返ればなかなか香ばしい日々を送っていたものの、遠い未来や子々孫々のことまで考える余裕はなかったなあ。むしろ、そういう発想すら持ち合わせてなかった。
若かりし頃、僕は、ハガキ職人だった
たこ焼きのキッチンカーに乗っていた頃。今のハマナカさんと同じくらいの年の頃。
僕は、それなりに充実した日々を送っていた。
たくさんの行列を捌き、「おいしいよ」と声をかけられ、時には差し入れまでいただく。せわしくも賑やかで、毎日がまるで祭りのようだった。
しかし、祭りの後は寂しいものである。
太陽が沈みかけた黄昏時に、客が引いて誰もいない現場で、ひとり積み込みをする
ついさっきまでの満たされた時間は幻のようだ。
魔法が解けて、現実を目の当たりにした途端、どっと疲労感も押し寄せる。
そんな時、耳に飛び込んできたのがラジオだった。
かつてJ-WAVEで放送されていた番組『GROOVE LINE』。パーソナリティはピストン西沢。
ご存知の諸兄も多かろう。平日の16時30分から20時までぶっ通しの生放送で流れていた、人気番組だ。
自身の不遇やコンプレックス、妬み嫉みといった、ネガティブを煮詰めたかのようなリスナーたちの投稿。それらを軽妙な調子で電波に乗せ、笑い話にするピストン西沢の話術。
視覚情報を遮断しているにも関わらず、脳裏に情景が浮かび上がる。
本名も顔も知らないリスナーたちが、なんだか近しい友達のように感じる。
いつしか聴くだけでは飽き足らず、メールを送るようになるのは必然と言えるだろう。
そして、初めて番組でメールが読まれ、その快感を知ってからは、僕はメールを書く手が止まらなくなる。
いわゆるハガキ職人だ。この頃は携帯のメールで送っていたから、メール職人と呼ぶべきかもしれない。
自分の投稿が読まれればほくそ笑み、見知らぬ誰かの秀逸なメールに感心する。
他のリスナーと一緒に、番組で遊んでいるような気分。もしかしたら、SNSにハマる人と似たような感覚だったのかもしれない。
僕にとって、ラジオは現実世界と違う、もうひとつの居場所になっていた。
「アンパンマンってつぶあんなの? こしあんなの? 知ってる人教えて!」
ある日、スピーカーから耳へ飛び込んできたピストン西沢の声に、片づけの手を止め、メールの文言をばばばと打つ。
アンパンマンは、つぶあんです。
メールを送信すると、即座に電話がかかってきた。
きっと、番組からかかってきたんだろう、僕もついにピストン西沢と生電話をできるまでになったか。そう期待に胸を膨らませ、通話ボタンを押す。
「おう、アンパンマンはつぶあんってどういうことや」。
電話の声は社長だった。僕は社長にメールを送っていたのだ。
その後こってり絞られたことは、言うまでもない。
そうさ、遊び場のようなラジオを作りたかったんだ
結局、僕はメール職人が高じて物書きになった。もう40歳を過ぎたけれど、あの頃とマインドが変わっていない。せわしない日々に一喜一憂して、ハマナカさんのように子々孫々まで文化を継ぐとか、伝えていきたい自分というものが、何もない。
「どてさん、一緒にポッドキャストをやりませんか」。
そう尋ねられ、「大丈夫ですか、僕が相棒で」と、思った。
けれど、口を開いた瞬間、出てきた言葉はまったく違った。
「いいっすね、やりましょう」。
ああ、やっぱり何も変わってない。面白そうなことに飛びつくんだ。僕ってやつは。
返事を耳にしたハマナカさんは、饒舌に語り始めた。
「大きな盛り上がりがなくてもいい。聴き流せる内容で、けれどふとした瞬間にクスっとできる。聴いてる誰かにそっと寄り添うような番組を作りたい」。
彼が無邪気に語るその内容は、僕自身も聴いてみたくなるようなコンセプトで。
だからじゃないが、これまで遠い存在に思えていたハマナカさんが、実はめちゃくちゃ近い感性の持ち主なんじゃないか、と思うようになった。
そして思い出した。
僕は作ってみたかったんだ。みんなの遊び場のような、『GROOVE LINE』みたいなラジオ番組を。
「リスナー投稿とか、募りたくないですか」。
「いいですね。どんどんやりましょう」。
この1ヶ月後、僕たちはPodcastの収録をすることになる。
その時のあーでもない、こーでもないは、また次のお話。



